辛くて全てを吐き出したいけど、
はけ口がないからここで吐き出させてほしい。
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その時は多分、本当にごく一般的な家庭だったと思う。
家族はお父さんにお母さん、お姉ちゃんと私の4人家族で新築一戸建てに住んでました。
私が3歳の頃、お父さんが事故をして入院したのをきっかけに母がパートに行くようになった。
4歳年上のお姉ちゃんは既に小学校に行っていたので、私は母方の祖母の家に預けられました。
祖母はすごく優しくて大好きだったけど、家事なんかで忙しくあまり私の相手は出来ず、毎日1人で遊んでいました。
祖母の家の裏は砂利の空き地で、毎日新聞紙に大きな石を巻いて石焼き芋やさんごっこを1人でしていた。
近くに公園もあったから、1人で遊びに行った。
私はすごくお母さんっ子だから、毎日寂しかった。
1人ぼっちで遊ぶのも寂しかった。
もうこの辺はあんまり記憶が無い。
と、言うのもお父さんはほとんど家に帰って来てなかったような気がする。
だから家族で出掛けたり、外食したり、もちろん旅行なんかは全くなかった。
周りは夏休みの度に旅行へ行ってたりして、すごく羨ましく思ったのを覚えてる。
そして私が底辺女と落ちこぼれていったのは小学3年生の頃だと思う。
あんまり人のせいにするのは良くないかもしれないけれど、このあたりから私の人生はおかしくなっていってしまった。
その頃、お母さんはお父さんの浮気を疑っていた。
だからお母さんは私やお姉ちゃんに「パパの携帯開いて、メールの履歴見て」とよく頼んできた。
何故私達にやらせたのかは未だに不明。
そして結局、浮気はクロだった。
そしてそんな時にお父さんが事業を始めると言い出して、借金をこさえてきた。
そんな色々なことが原因でお母さんがうつ病になってしまった。
私はお母さんっ子だったから、変わり果てたお母さんを見てるのは悲しかった。
お父さんはほとんど家に帰ってこなくなって、帰って来てもイライラしてる事が多くていきなり殴られた事もあった。
あまり家にいなかったのが原因か、小さいながらにお父さんと話すのはすごく気を使うし
たまに一緒に買い物に行った時に「欲しいもの買ってあげる」と言われても「いらない」と何故か全力で気を使っていた。
欲しいものがなかったわけじゃないけど、なんだか言えなかった。
とにかく何故かお父さんには他人行儀みたいな感じだった。
だから殴られても、なんとも思わなかった。
痛くて泣いたけど…
でも、何故か休みの日はよく海へ連れて行ってくれた。
家の外に出たがらないお母さんが「一緒に海に行こう」と誘ってくれるのがすごく嬉しくて仕方なかった。
私はどちらかというと明るくて元気で人懐っこい感じだったけど、お姉ちゃんはその逆で引きこもりがちだったので一緒に海に行くことはなかった。
だから私とお母さん2人でたくさん海に行った。
私が昆布やワカメを持ってふざけているとお母さんが笑ってくれるから嬉しかった。
でも、今だから言える話だけどお母さんが私を連れて海に出掛けたのは心中しようとしてたからだと思う。
なんで今になってそう思うのかと言うと、私はお母さんに「一緒に死んでほしい」と頼まれたから。
何度も自殺未遂してる内に、1人で死ぬのが怖くなったのかな。
その時私はなんて返事をしたのかわからないけれど、今こうやって生きてるって事は断ったんだと思う。
私はよく覚えてないけど家の近くにある、大きな道路(大型トラックなんかがビュンビュン通る)に私とお姉ちゃんを連れて行って死のうとした事もあったって昔お母さんが自分で言ってた。
ある日、今までとは比べものにならないくらいの大喧嘩があった。
お父さんは携帯を真っ二つ折って家を出ていき、お母さんは血を流しながら泣いてた。
それが最後の喧嘩で、数日後に離婚するとお母さんから聞かされた。
その日は珍しく家にお父さんがいたから私はお父さんに「離婚しないで」と泣きついた。
他人のように感じるお父さんだけど、やっぱり離れて欲しくはなかった。
でもお父さんの返事は「ごめんな」の一言だった。
その時、私は最初で最後のお父さんの泣き顔を見た。
なんで泣いていたのか、どうゆう気持ちだったのか今になっても私にはわからないけれど
お父さんも私と離れるのが寂しいと思ってくれたのかなって勝手に解釈してる。
私とお姉ちゃんはお母さんにつくことになり、一戸建ての家を出た。
次に住む家は見たことのないようなオンボロ長屋だった。
今どきトイレはボットン。
壁は土壁で、地震が来たら一発で潰れそうだった。
部屋は二部屋しかなく、一部屋はリビング、
もう一部屋は何故かお姉ちゃんの部屋となった。
私も自分の部屋が欲しいと駄々をこねると「お姉ちゃんは思春期だから、あんたは我慢してね」と言われた。
夏になれば見たこともないような虫が大量発生したり、ゴキブリやネズミなんかも当たり前のようにいた。
大きなムカデが家の中にいた時はさすがにびびった。
親の離婚+新築一戸建てからボロ家に降格してしまった事をきっかけにグレはじめた。
正直私からすれば親の離婚はそこまで悲しい事か?と思っていた。
会いに行こうと思えば会いに行ける距離だし、
信じてもらえないかもしれないけど私は昔から変に冷静なところがあって
離婚しないでとお父さんに泣きついて、お父さんから「ごめん」って言われた時、
心の中で「あーやっぱり無理か」とか思ってた。
だからグレるお姉ちゃんの心境が全くわからなかった。
呪い代行 黒魔術 薔薇十字団
呪殺専門古代エジプト魔術a